海外バレー選手紹介その4 オスマニー・ユアントレーナ

バレーボール
Photo by FIVB

ポーランドのレオン、ブラジルのレアル、ロシアのカメホと、近年世界の男子バレー界はキューバ人選手の帰化がちょっとしたブームになっている。そのブームを走ったのが元キューバ代表、現イタリア代表で現役世界最高のバレーボール選手のひとり、オスマニー・ユアントレーナだ。イタリアのリオでの銀メダルも彼の加入がなければ実現しなかっただろう。1985年生まれ、今年で35歳、彼の進化は止まらない。

 

プロフィール

オスマニー・ユアントレーナ(Osmany Juantorena)

1985年8月12日生(34歳)
キューバ、サンティアーゴ・デ・クーバ出身
身長:200㎝
体重:85㎏
最高到達点:370㎝
ポジション:アウトサイドヒッター
背番号:5

所属クラブ
1997-04 サンティアーゴ・デ・クーバ
2004-06 ウラル・ウファ(ロシア)
2009-13 トレント(イタリア)
2013-15 ハルクバンク・アンカラ(トルコ)
2015-  ルーベ(イタリア)

代表歴
2003-06 キューバ
2015-  イタリア

 

キューバ時代

ユアントレーナは、キューバのサンティアーゴ・デ・クーバで生まれ、ハバナで育つ。もともと野球をやりたかったが、当時彼の周囲で野球をやれるところがなかったため、バレーボールをすることになったらしい。もし、彼が野球をできるにいたならば日本の球団でプレーしていたかもしれない。

そんなオスマニー少年は、野球ではなくバレーボールでどんどん才能を開花させていく。まず16歳でキューバのトップリーグデビューを果たし、その2年後の18歳のときには早くもシニア代表デビューする。そしてユアントレーナは代表の中心として、2003年パンアメリカンカップ準優勝、2005年ワールドリーグ3位と好成績も収めた。しかし、彼のキューバ代表としての期間はそう長くは続かなかった。なぜなら国外リーグでプレーする道を選んだからだ。

 

国外リーグへの挑戦

当時はまだ国外リーグでプレーするキューバ人選手は、キューバ代表としてプレーすることができなかった。つまり、国外リーグへの挑戦=代表引退を意味した(かつて日本代表にも同様の制約があった)。しかしユアントレーナは若干20歳にしてキューバ代表を去り、国外リーグへの道を選んだ。

最初のチームはロシアのウラル・ウファだった。まず彼はここで2シーズン過ごす。その後ドーピング問題、更にはキューバ連盟とのいざこざにより約3年間プレーができなくなるが、その間にも彼は次なるステージへと旅立っていた。イタリア、セリエAの名門、トレントだ。

トレントとユアントレーナ

トレントで1年目となった2009/10シーズンから、ユアントレーナはそのポテンシャルを遺憾なく発揮した。当時のトレントも、ブルガリアのカジースキやブラジルのヴィソットなどを擁するスター軍団であったが、そんな中でもユアントレーナはデビュー戦から試合MVPを獲得するなど彼らに全く引けをとってはいないどころか、彼らをも凌駕する活躍を見せる。結果このシーズンは、イタリアリーグこそ準優勝に終わってしまったが、コッパイタリア、欧州チャンピオンズリーグ、世界クラブ選手権の3つのタイトルを獲得。特に欧州チャンピオンズリーグではリーグMVPにも選出される大活躍であった。1年目の活躍を受け、クラブはユアントレーナとの契約を2014/15シーズンにまで延長した。同じクラブに3年在籍すれば長いほうのプロバレーボール界において、5年という長期の契約が交わされることは異例であり、その評価の高さがこのことからも伺える。

しかし、結果的にユアントレーナがトレントでプレーしたのは2012/13シーズンまでの4年間であった。しかし、その間ずっとチームメイトだったカジースキとの2枚看板でトレントの黄金期を築き、リーグ優勝2回、コッパイタリア優勝3回、スーパーコッパ優勝2回、欧州チャンピオンズリーグ3連覇、世界クラブ選手権4連覇など、チームは数々のタイトルを獲得。準優勝まで入れるとその数が膨大になるのでここでは割愛する。このトレントでの活躍で、ユアントレーナはバレー界で一気にスターに躍り出た。

トレント時代、左から2番目がユアントレーナ Photo by CEV

また彼が後世のキューバ人バレーボール選手に与えた影響も大きかったのではないかと思う。2010年前後は、キューバ代表がシモン、レアル、レオン、エルナンデスなどを擁して近年で一番結果を残していた時代だったが、しばらくして彼らのほとんどがユアントレーナの後を追ってキューバ代表から去り、イタリア、ブラジル、ロシア、そして日本などに出ていった。

2013/14シーズンもユアントレーナはトレントとの契約が残っていたが、財政上の問題で、トルコのハルクバンク・アンカラにレンタル移籍することとなる。この時は彼と同時に、トレントからカジースキ、ラファエル、ジュリッチ、そして監督のストイチェフの4人も同じくハルクバンクに移籍となり大変な話題になった(セリエAの時代から男子もトルコの時代かと思わせられたが長続きはしなかった)。要は半分くらいトレントだったので強くないわけがない。トルコの国内タイトルは3冠。欧州チャンピオンズリーグも制するかと思われたが、決勝でロシアのベルゴロドに敗れた。ユアントレーナは翌シーズンもハルクバンクに残留。このシーズンはチームメイトにクビアクもいた。

イタリア代表

トルコでの2シーズンを終えたあと、2015年にユアントレーナはイタリア代表に初めて召集される。イタリア市民権自体はすでに2011年に取得していたが、代表でプレーするにはFIVBの規定により国籍取得から4年間待たねばならず、このタイミングでその縛りが解かれたのである。30歳、キューバ代表引退から約10年でのイタリア代表デビューであった。またユアントレーナの代表加入は、得点力のあるアウトサイドが不足していたイタリア代表にとっても願ってもないことだっただろう。

彼の代表入りの影響は、すぐに結果として現れた。欧州選手権3位、そしてワールドカップ準優勝し、さらに早くも翌年のリオオリンピックの出場権を獲得した。リオオリンピックは、ユアントレーナにとって30歳にして初めてのオリンピックだった。予選では混戦のプールAを1位通過し、準決勝でアメリカとのフルセットの死闘を制し、決勝まで駒を進めた。決勝こそ地元の声援を一身に受けたブラジルに完敗したが、結果は堂々の2位だった。

Photo by FIVB

リオ五輪の後も、引き続き彼はイタリア代表としてプレーを続けている。もちろん主戦力としてだ。東京オリンピックの切符もすでに手に入れた。無事来年にオリンピックが開催されれば、6年ぶりに日本で彼のプレーを見ることができるだろう。

 

セリエA復帰

イタリア代表入りを果たしたのと年を同じくして、ユアントレーナはセリエA復帰も果たしていた。ただしチームは元いたトレントではなく、こちらも名門のルーベだった。ユアントレーナの加入後、ルーベはリーグ制覇2回、コッパイタリア2回、欧州チャンピオンズリーグと世界クラブ選手権をそれぞれ1回制覇した。また個人としても、タイトルを獲得したそれぞれの大会でMVPを受賞した。今年で35歳となり、バレーボール選手としては大ベテランの域であるが、未だ衰えを知らない。

余談であるが、現在のルーベにはユアントレーナの他に、シモンとレアルの二人のキューバ出身選手も在籍しており、「あったかもしれないキューバ代表」を見れるのは面白い。

Photo by FIVB

 

ミスの少ないオールラウンダー

ユアントレーナの特徴としては、最高到達点370cmにまで届く高さに目が行きがちであるが、個人的にはそのオールラウンドな能力とミスの少なさにあると思っている。

高さと決定力のあるスパイクとサーブなど攻撃面はもちろんのこと、ブロック・ディグ・レセプションなど守備面についても非常に安定している。またミスが少なく、特にサーブミスが少ない。セリエAの昨シーズンのデータでも、1セットあたりのエースの数では上位20人にも入っていなかったが、サーブ効果率では全体の1位となっていることからもそのミスの少なさと、それでも果敢に攻めたサーブを放っていることがうかがえよう。

個人的にレオンやシモンなど他のキューバ人選手に比べるとそれほど派手さはないと思う。スパイクも前者2人のように「ドカーン」という感じではなく、「バシッ」とキレのある感じだ。ザイツェフと比べてもそうだと思う。しかし、言うまでもなく彼のプレーは見どころ満載であるし、コート上で見せる彼の人間性も惹かれるところがあるだろう。だからこそ、帰化選手にもかかわらず、辛口なイタリアのバレーファンにも長く愛され、大きな尊敬を集めているに違いない。

Photo by FIVB

 

 

 

 

 

 

 

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