クビアクのキャリア

バレーボール
Photo by FIVB

現ポーランド男子バレーボールチーム代表のミハウ・クビアク。191cmとバレーボール選手としては小柄ながら、その卓越した技術と強靭なメンタルを武器に多くのバレーボールファンを魅了している。2016/17シーズンからはパナソニック・パンサーズに所属し、日本のバレーボールファンにもすっかりお馴染みとなった。今日はそんなクビアクのキャリアを簡単に紹介する。

最初はビーチバレーから

クビアクは、2002年、14歳のときにマラトン・シフィノウィシチェというクラブで本格的にバレーボールのキャリアをスタートさせた。しかし最初はインドアではなくビーチバレーからのスタートだった。だがこのビーチバレー時代からすでに才能は開花していた。2004年、16歳になると元ポーランド代表のバルトマンとペアを組んで17歳以下のヨーロッパ選手権で優勝、世界選手権でも銀メダルを獲得した。後のインタビューでクビアクは「インドアの選手でもキャリアの序盤にビーチバレーに取り組むのは視野を広げる上でとてもよい」と語っている。

ビーチ時代(写真左)

インドア下積み時代

その後2005/06シーズンには17歳でポーランド2部のクラブチーム、ヨケル・ピワに入ってインドアでのキャリアをスタートさせる。そこで頭角を表し、翌2006/07シーズンには早速1部のAZSオルシュティンに移籍を果たすが、ここではベンチに入ることもあまりできずにシーズンを終えた。その後はまた2部リーグ、イスラエル、イタリア2部リーグと1シーズンごとにクラブを転々としていった。2009/10シーズンに現在石川祐希が所属するイタリアのパドヴァ(当時は2部)で、越川優とチームメイトだったことは有名な話である。当時は越川よりも出場機会は少なかった。

クビアクがトップでなかなか結果を出せずにいる一方、同世代のクレク、ノヴァコフスキ、ヤロシュ、バルトマンらがすでにポーランド代表としてキャリアをスタートさせ、2009年にヨーロッパ選手権初優勝という快挙を成し遂げていた。

パドヴァ時代(写真右は越川選手)

才能開花

2010/11シーズンはクビアクにとって大躍進の年となった。4シーズンぶりにポーランド1部のワルシャワに復帰を果たすと、ここではすぐにスタメンに定着し、個人ではサーブでリーグトップのエース数をたたき出すなど大活躍。最優秀新人賞にも選ばれた。またチームも昨シーズンの10位から5位へと躍進を果たした。この年のシーズンでの活躍が評価され、当時ポーランド代表監督であったアナスタージからポーランド代表へ初招集される。以降クビアクは今日までポーランド代表に呼ばれなかった年はない。

2011年はポーランド代表にとってもこの年は大成功の年となった。クビアクは、同じポジションにヴィニャルスキやクレクがいたため出場機会こそ多くはなかったもののベンチ入りを果たすと、その年のワールドリーグと欧州選手権で立て続けに銅メダルを獲得。そしてワールドカップのメンバーにも選ばれ来日も果たす。チームはそれまでの勢いそのままに銀メダルと、ロンドン五輪への出場権を獲得する。

2011/12シーズンにはポーランドの強豪クラブ、ヤストシェンブスキ・ヴェンギェルに移籍を果たす。イタリア代表だったラスコらと共に3シーズンを通してチームの中心選手として活躍。優勝こそはなかったものの、リーグ3位が2回、欧州チャンピオンズリーグ3位、クラブ世界選手権銀メダルを獲得する。個人的には2013/14シーズンのチャンピオンズリーグでのクビアクの活躍は強く印象に残っている。

ヤストシェンブスキ・ヴェンギェル時代

ロンドンオリンピックと世界選手権

オリンピックイヤーとなった2012年のポーランド代表は、前哨戦であったその年のワールドリーグで初優勝を果たして波に乗る。しかし、ロンドンでは「魔物」に襲われる。予選で格下のオーストラリアに敗れると、トーナメント1回戦でのちに優勝するロシアに当たり惨敗。クビアクはベスト8で初めてのオリンピックを終える。翌年もこのオリンピックでの結果を引きずるかのようにポーランド代表は振るわず、ワールドリーグ11位、地元開催だった欧州選手権もベスト16という無残な結果に終わる。しかし、クビアク個人としてはヴィニャルスキの代わりにスタートから試合に出る回数は増えた。

そしてアンティガ新監督を迎えて始まった2014年。クビアクは、この年のワールドリーグではベンチ入りすらしていなかったが、地元ポーランド開催となった世界選手権ではしっかりベンチ入り。役回りとしては、ヴィニャルスキ、ミカに続く「3人目のOH」であった。しかし、スタートから起用される試合も少なくなく、途中出場でもしっかりと役目を果たしてチームに大きく貢献。ポーランド代表自体も5年ぶりに代表復帰したヴラズウィの活躍もあり、あれよあれよと勝ち星を重ねて40年ぶりの世界選手権優勝を果たした。

世界選手権優勝(http://www.sport229.com/championnats-du-monde-de-volleyball-la-pologne-bat-le-bresil-3-0/)

キャプテン・ポルスカ

クラブチームは、2014/15シーズンから監督のベルナルディとともにトルコのハルクバンク・アンカラへ移籍。ユアントレーナ(イタリア)やソコロフ(ブルガリア)などスター選手らと共に2シーズンプレーし、スーパーカップ優勝2回、トルコカップ優勝1回、リーグ優勝と準優勝が1回ずつという成績を収める。個人としても2015/16シーズンは、リーグの最優秀アウトサイドヒッター賞とMVPを獲得した。その後2016/17シーズンから今日に至るまで日本のパナソニックパンサーズでプレーすることになる。

ポーランド代表では、2015年からヴィニャルスキからキャプテンを引き継いだ。また試合においてもヴィニャルスキのポジションを引き継ぐ形でようやくスタメンに定着した。キャプテンとしての最初の大きな国際大会となったこの年のワールドリーグでは、メダルこそは逃したものの、4位という好成績を残し、自信もベストアウトサイドスパイカーに選ばれる。その後オリンピックの出場権をかけて出場したワールドカップは、アメリカとイタリアに敗れて3位となり、惜しくもそこでの切符獲得を逃す。しかし翌年ヨーロッパ予選の死闘を勝ち残り、日本での最終予選でリオ・オリンピックの出場権を得た。だがしかし、オリンピックの悪夢がまたしても立ちふさがり、ポーランド代表は準々決勝でアメリカに敗れた。クビアクのオリンピックは再びベスト8で幕を閉じた。

リオ五輪(https://www.fakt.pl/sport/inne-sporty/rio-2016-michal-kubiak-komentuje-spotkanie-z-egiptem/gbvtgpq)

その後~現在

その後、パナソニックパンサーズでの活躍は、この記事を熱心に読んでいただけた人ならおおよそ知るところであろう。チームを2度リーグ優勝に導いた立役者となったのはもちろん、日本人選手と同じくらいの身長ながら、その引き出しの多い卓越したバレーボールスキルと強靭なチャンピオンのメンタリティーはチームメイトのみならず多くのバレーボール関係者に多大なる影響を与え、新たな「世界基準」を日本に広めた功績は計り知れない。

またポーランド代表では、ヘイネン監督に代わった2018年に再び世界選手権で優勝し、ベストアウトサイドスパイカーも獲得した。また昨年はヨーロッパ選手権で銅メダル、ワールドカップで銀メダルと引き続き好成績が続いている。惜しくも今年開催予定だった東京オリンピックは来年に延期となったが、是非とも次こそは「3度目の正直」を見せてもらいたいところである。

 

 

 

ミハウ・クビアク(Michał Kubiak)

1988年2月23日生(32歳)
ポーランド、ヴァウチュ出身
身長:191㎝
体重:80㎏
最高到達点:328㎝
ポジション:アウトサイドヒッター
背番号:13

所属クラブ(シニア)
2005-06 ヨカル・ピワ
2006-07 AZSオルシュティン
2007-08 KSポズナン
2008-09 ハポエル・キーヤット・アッタ(イスラエル)
2009-10 パッラボーロ・パドヴァ(イタリア)
2010-11 AZSポリテクニカ・ワルシャワ
2011-14 ヤストシェンブスキ・ヴェンギェル
2014-16 ハルクバンク・アンカラ(トルコ)
2016-  パナソニック・パンサーズ(日本)

代表歴
2011- (キャプテン歴:2015- )

 

 

 

 

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